「もう、いつ死んでも同じだ」という無力感

今日は少しだけいつもより夜更かしができるので、以前ずっと頭の中にあった考えについて書いてみようと思います。

 

Twitterやこのブログで何回か、「30までに死にたいと前はよく話していた」というエピソードを書いたことがありました。これには理由がいくつかあったのですが、最たる理由がタイトルに書いた「もう、いつ死んでも同じだ」という無力感でした。

 

より具体的には「今死のうが、明日死のうが、1年後死のうが、10年後死のうが自分が残すものは変わらない、いやむしろ悪くなるかもしれない。だから早く死にたい。」という思いがずっとありました。そしてその根幹を探ったときに、以前少し書いた「自己肯定ができない自分」があったと最近ようやく気付いたのです。

 

こういった無力感は、突発的に生じた感情ではないとわたしは考えています。つまり過去、何らかの自分の精神を深く傷つける何かがあり、それが他のエピソードと結びついていった結果、こういった絶望的な感情が生まれてしまうのではないかということです。

 

さて、わたしは多くの方々の助けを借り、ようやくタイトルに書いたような感情とある程度付き合えるようになりました。そして、そうしてみたとき、わたし以外の方々もすくなからずこういった感情が心の片隅にあるということが見えてきたのです(とくにSNSではそういった光景が良く見られます)。

 

もし、タイトルと類似した感情を常日頃抱いていて、現状に憂いを抱えているのであれば、まずは精神科を受診するか、カウンセリングを受けてみることをわたしはお勧めします。

 

と気軽に書いてしまいましたが、上記のことを実行する心理的ハードルは、こういった感情を抱く人ほど高いとも思います。わたしも実際そうで、「精神疾患という烙印が押されればわたしは社会からドロップアウトしてしまう」という想いでただ眠れぬ夜を過ごしていたこともあります。

 

しかし、それは事実ではありません。今は1年程度は休職しても復職は可能ですし、休職中も給与がもらえるような仕組みがあります。また、仕事を途中で投げ出してしまっても誰も責めてきたりはしません。みんな自分が苦しんでいたんだと知っているからです。はたから見ても苦しんでいるのは明確だったのです。

 

なので、まずはしっかりとした治療を受け、生活を改善し、徐々に心を癒していくことが苦しみから解放される第一歩だと私は思います。

 

少し説教臭くなってしまいましたが、今日はここで筆をおきます。