2023/3/17 日誌

☆気分(5段階)

5


☆食事

朝・・・ステーキ、ごはん×2

 

昼・・・ぱん×3(てりたま、ベーコンポテト、カレー)

 

夜・・・豚バラともやしの炒め物、茄子とねぎの味噌汁、オクラと温玉のめんつゆがけ


☆今日のスケジュール
起床  :7:00

朝食  :7:30-7:45

食器洗い:7:45-8:00

身支度 :8:00-9:00

病院  :9:00-15:00 ※途中昼食

だらだら:15:00-17:00

犬と散歩:17:00-17:30

夕食  :17:30-18:15

食器洗い:18:15-18:30

お風呂 :18:30-19:00

読書  :19:00-21:00

メモ書き:21:00-22:00

日誌  :22:00~


☆思ったこと・考えたこと

日々習慣的に物事を行っていると、「この行為に始めた当初のような効力はなく、形骸化してしまっているのではないか」という不安が生まれてくる。これは実際にそういう事もあるのかもしれない。例えば僕の場合は、メモ書きも前日のコピーで大半が埋まってしまったり、日誌も特に内容なく終わってしまうこともある。

 

しかし、そもそもとして行為に必ずしも意味を見出す必要もないのかもしれない。確かにビジネスなどではその行為に意義が求められる。しかしそれは、意義がなければビジネスとして成立しないという側面があるからでもある。だが、日常生活すべてに意義を見出す方が難しいだろう。例えば上記の日誌で「だらだら」に意味があるのかといわれると別に意味はない。「だらだら」したから生活が豊かになったとか、心に余裕が生まれたとかそんな意味はあるのかもしれないが、少なくとも私自身はそんなものは意識していない。それでいいのだと思う。自身の行動の一挙手一投足に意味があるほうがわたしとしては怖い。

 

意味のない日常に乾杯!とまではいかないが、そんなものでいいのだろう。