2023/3/22 日誌

☆気分(5段階)

4


☆食事

朝・・・パン、ハム×5、目玉焼き

 

昼・・・寿司(はま寿司、10皿)

 

夜・・・カレーライス、目玉焼き×2、なっとう、きんぴらごぼう


☆今日のスケジュール
起床  :6:30

朝食  :6:30-6:45

食器洗い:6:45-7:00

身支度 :7:00-7:30

復職面談:7:30-12:00

昼食  :12:00-12:30

散歩  :12:30-13:30

電話  :13:30-14:00

銭湯  :14:00-17:00

夕食  :17:00-17:15

食器洗い:17:15-17:30

メモ書き:17:30-20:00

日誌  :20:00~


☆思ったこと・考えたこと

今日は会社で復職面談があったりなどまあ色々とあった。

 

復職面談としては全然問題がなかったが、そのあとの色々については少しモヤモヤした日だったように思う。その色々について直接的な言及は避けるが、少し関連しているというか、わたしが思っていることを今日は書いてみよう。

 

わたしはある時から人間には何かしらの悪意や憎悪があって、それをうまく隠して生きていると思うようになった。そして、その悪意や憎悪にひどく怯えていた。

 

もちろん、人間にそういった感情がないとは言い切れない。そして時折それが垣間見えてしまうときもある。そのときわたしは「この感情が自分に向いてしまったらどうしよう」と頭を悩ませていた。そしてその不安は広がっていき、その悪意や憎悪が見えていない人間ですら恐怖するようになってしまった。

 

今もその不安や恐怖がないわけではない。しかし、それが他人のすべてではないし、世の中の人々全員が悪意や憎悪に満ちているとも思わない。ただやはり、そういう光景が心を歪ますのもまた事実だ。

 

今はSNSをはじめとして不特定対数のコミュニケーションが多いため、余計にこの悪意や憎悪に出会いやすい。そしてそれを高らかに表明することが善とされているような状況も度々見かける。物事をはっきり言える、それは素晴らしいことだ。だが、自分の持っている得物の鋭さを、そしてそれがどれほどの傷を残すのかを知らなければ、猛々しさは意味をなさない。

 

どうかわたしが怯えなくて済む、そんな世の中を願って今日は筆をおくことにしよう。