年齢という情報に生きた年数以外の意味はない

最近モヤモヤすることが多すぎけど、そんなのときのためにブログを始めておいてよかったなと思います。

 

前に生きてて、「もう若くないんだよな...」って肩を落とすことが多かったのですが、精神病院に入院したりなんだりしたとき「まだ若いから」と言われることが多くて、正直なにがなんだかわからなくなりました。というか今ももよくわからないです。

 

で、うだうだ考えて一応それっぽいことが見つかったのですが、わたしの「もう若くないんだよな...」には「27年間生きていいるということは、きっとそれだけ色々な経験をしてきているはずだ」という期待の意味がこもっていたんじゃないのかと思いました。つまり、わたしが言われた「まだ若いから」には「これからまだ色々とできるでしょう?」という期待(?)がこもっていたので、わたしは「そんなこと言われても...」と感じてしまったんだと改めて書いてみて腑に落ちました。

 

でも年齢なんて生きた年数以上も以下の意味も本来なくて、「あ、この人は27年生きたんだなぁー」っていうだけなんですよね。これって年齢だけじゃなくてもそうかなって。

 

SNSがはやり始めてもう長いですが、少ない情報から人となりを得るために、わたしたちは言葉の意味以上にその人の素性を探るようになった気がします。その結果、例えばわたしは極端に人の目を気にするようになって一時期本当に誰の言葉も信じられなくなってしまいました。自分の言動の細部までが読み取られていて少し職場であくびをしただけで「こいつは怠け者なんだ」なんて思われているんじゃないかと怯えるようになりました。

 

でも実際は対して他人は自分には関心はなくて、そして言動は目に見える物以上のものはさほどないと気付きました。とはいえ、全く平気になったわけじゃないですけどね。

 

そんなわけで、年齢は「生きた年数」以上の情報はまーったく含んでいません。

今日はここで筆を置きます。それではまた。