わたしはもう色んな意味で「おじさん」だ

今年で28歳になりました。まあ別にそれは良いのですが、わたしは正直「20歳の時となんか変わったかな?」と考えてもそんなに変わっていない気がしています。でも変わってるんでしょうね。わたしはもうおじさんです!(身体的なところも含めて!)

 

で、なんでこんなことを考えていたかというと、「老害」って言葉あるじゃないですか。これはですね、わたしが一番危惧していることのひとつです。嫌じゃないですかいつの間にか若者を潰していたら。でもこれ、わたしが塾講師をやっていた時、生徒とか多分色々潰してきたんだろうなーって今更ながら思うんですよね。モラルハラスメントパワーハラスメントとかバリバリやってたんじゃないかな。「なんでこんなこともできないの?」とか「前も行ったじゃんこれ~!」とか、ひどいですね。

 

まあ、そういうわけでわたしはもう既に「老害」になってしまっているわけですが、なるべくその進行を遅らせていきたい、延命治療をしていきたいと思ってます。もう「老害」は治りません。それはですね、前の記事に書いたのですが、わたしの考えがコチコチに固まっちゃっているからですね。コチコチですよコチコチ。これでもまだ柔らかくなったんですけどね。

 

でまあ、なぜコチコチにわたしがなってしまったかというと、コチコチになるほうが楽だからですね。要するに防衛手段だったわけです。これはたとえば車の運転に例えられます。

 

例えば車の運転ってめっちゃスピードを出したら危ないじゃないですか。実際それって違反にもなるし、事故なんて起こそうものならネットでは袋叩きです。まあ、これは分かりやすいですね。でも、例えば「かたくなに制限速度を守っている人」、これも結構実は危ないです。なぜなら、「周りの流れが読めてない」からです。こういうと「ルールを積極的に破れといっているのか!?」という声も上がってきそうですがそうじゃないです。念のため言っておきますよ。

 

で、話を戻すとなぜこの後者の人が危ないかっていうと、「この人が道を走ることで周りの人が事故を起こす確率が上がる」からです。例えばこの人が追い越し車線をノロノロ走っていて、後ろが詰まってしまい追い抜こうとして事故を起こしちゃうとかです。道路っていうのはみんなが同じものを使っています。だからみんなで息を合わせていくことが大切なんです。そのリズムを崩さないために存在するのがルールであって、個人を守るために存在しているわけじゃないんですよ。でも、この人はそれがわからない。しかも、「ルールを守っているんだからいいだろ!」で正当化できてしまうことが多くなっちゃいました。だから、実はルールを破る人よりも厄介で、一度味を占めちゃうとそこから抜け出せなくなっちゃうんですよね。

 

というわけで、ルールを守ることは大切だけど、それを意識し過ぎて周りとの不和を生んでいないかを点検することを習慣にしたいですね。

 

というわけで今日はこの辺で。また明日。