2023/2/24日誌

2023/2/24

 

☆気分(5段階)

5


☆食事

朝・・・ごはん×2、たまご、ベーコン5枚

 

昼・・・ごはん、たまご、ベーコン5枚

 

間・・・ポップコーン(極みだし味)

 

夜・・・ごはん、イモのてんぷら、かき揚げ、万願寺唐辛子の素揚げ


☆今日のスケジュール
起床  :7:30

朝食  :7:30-8:00

資格勉強:8:00-11:45

昼食  :11:45-12:30

散歩  :12:30-14:00

休憩  :14:00-15:00

資格勉強:15:00-17:00

夕食  :17:00-17:30

メモ書き:17:30-19:00 ※入院当時の心境を書き起こす作業を指す。

お風呂 :19:00-19:30

日誌  :19:30-21:30


☆思ったこと・考えたこと(振り返りではなくなってしまったので変更)

日々のスケジュールを記載してみると、自分の行動を客観視できる点は結構悪くない。そこで行動について、最近ぼんやりと思っていることを言語化してみることにする。自分の行動について、おおむね以下の通り5つに分類できる:

 

1.すぐにできること

2.ちょっと頑張ればできること

3.頑張ればできること

4.めちゃくちゃ頑張ればもしかしたらできるかもしれないこと

5.どうか頑張ってもできないこと

 

1は本当に単純で、例えば「歯を磨く」とか「パジャマから着替える」とか「ご飯を食べる」とか、衣食住の事がほとんどと、あとは「できないことをできないと言う」、これも1だ。でもこれらは当たり前すぎて「できる」とわざわざ声に出して言えなかったりするのが厄介で、「これすらできない自分って本当にダメなんだ」とそのうち考えるようになる。そうすると本当に1すら出来ない人間になってしまったりもする。わたしは実際そうだった。なので、あながちバカにできない。

 

2は心のよりどころに近い。例えば「運動をする」や「資格勉強をする」、「趣味に時間を使う」なんてのが2だ。わたしは部屋の掃除とかも2だが、この辺は人による。2はちょっと頑張るっていうのがキモで、これが1より「できる」感を強くしてくれる。日々繰り返すことでちょっとずつ自信を貰える。でもこれができなくても、自分ができないと思う必要はない。出来ないということは事実でも、それが自分全てを否定する理由にはならないのだ。ちなみに、この日誌も2に分類している。文章を書くのは思いのほか骨が折れる。

 

3は確率的には五分五分みたいなやつ。わたしだったら「会社に戻る」あるいは「転職する」とかがこれにあたる(この場合の「戻る」とか「転職する」というのは、所属を戻すあるいは移すということではなく、「その職である程度業務が遂行できる」という状態を指す)。これは中々難しい。2は長くても1週間くらいのスパンで達成できるが、3は場合によっては数か月から1年程度はかかることというイメージだ。また、これは仮に実現できたとしても「運が良かった」とか自分自身を案外肯定しにくいのもやっかいだ。ある意味一番悩ましい。大体は「ちょっと頑張ればできる」の集合体だったりするのだが、渦中にいると案外頭が回らない。わたしはこの「ちょっと頑張ればできる」にバラすのが苦手で、つい大きく切り過ぎてしまう。これは少しずつ直したい。この行動のカテゴライズもその努力の一環だ。

 

4は結構ふんわりしてる。例えば「仕事ですごい活躍をする」とかそんなのだ。具体的にすごい活躍とはなんだと言われると思いつかないが、でも仕事をしている以上はなくはない、もしかしたらあるかもしれないそんなこと。これが頭に浮かぶときは、わたしの場合2パターンある。1つは私自身を肯定できているとき。今はどっちかというとこっちに近い。2や3ができてくれば、本当に見えてくるかも?なんて気持ちだ。2つ目は追い詰められているとき。わたしは社会人になってから入院するまでずっとこっちだった。言ってしまえばギャンブルのようなもので、負けや失敗を帳消しにしたいという思いが強くなると漠然と浮かんできてしまう。やっかいなのは、1つ目と案外区別がしにくい。運任せは案外心が躍るものだから。

 

5は例えば「過去をなかったことにする」とか神がかり的なもの。これは4が自分の行動の延長線上にあるのに対して、延長線上に乗っていないものといってもいい。これはどうやってもできないのだから考えないのが一番良い。それにはまず「考えないようにする」ということ、それそのものは「ちょっと頑張ればできること」なのがキモだ。わたしの場合は、「運動をする」あるいは「バイクに乗る」、これだけで一時的にではあるが「考えないようにすること」はできる。とはいっても、これも以前は出来なかった。運動していても、バイクに乗っても、はたまた友達と遊びに行ってもずっと思い浮かんでいた。こういうときは、最後の手段として「なぜそれが思い浮かんでしまうのかを考える」ということが必要になる。これは、すなわち「自身と対峙する」ということを意味する。自分のことは自分が一番わかっているようで、案外分かっていなかったりする。自身が困難の渦中にあると、辛さや哀しさや虚しさばかりが先行して、原因の究明ができなくなる。これには他の人の助けもいるし時間もいる。そして、なにより勇気もいる。等身大の自分を他者に晒すのは人によっては死よりも重い。わたしもそうであったように。

 

以上、徒然なるままに書いていたら思いのほか筆が乗ってしまった。結局のところ何が言いたいのかわからなくなったが、一つ言えるのは、日々のスケジュールは以上の分類にあてはめると、1か2に属するものしか存在しない。日常はそれ位でいいということだ。

 

さて、もし何某かがここまで読んでいたのであれば感謝したい。

わたしも今日はここで筆をおこう。