「固定概念に囚われたくない!」と思った時点で既に囚われている

最近思ったことです。

 

固定概念というのは、わたしの理解が正しければ「○○とは××である」という自分や世の中が持っている特徴づけの事です。一方で最近では、ダイバーシティ、つまり多様性なんて言う言葉も良く見聞きするようになりました。そんな人間として(?)の懐の深さを要求される昨今に、固定概念というものを自分はどれだけ持っているのだろうと考えてみたわけです。

 

思い返してみると、わたしは固定概念にとらわれまくっています。もうそれがいつからなのかもわからないほどです。「○○できないのはバカだ」とか「××するなんて大人としてみっともない!」なんて言葉がしょっちゅう頭の上に浮かんできます。そしてその言葉が自分に飛んでこないか勝手に不安になっていたわけです。わたしのほうがよほどバカですね。

 

さて、そんな愚かなわたしはさておき、「固定概念を捨てたい!囚われたくない!」ともし思うなら、もう既にそれは囚われた後なのかもしれないです。なぜなら、「固定概念を捨てた懐の深いわたし」を自分自身が望んでしまっているからです。それはつまり、「自分とは○○である」という固定概念に既に囚われているのです。

 

つい自分のことは自分が一番わかっていると考えてしまうのですが、それは「自分とは○○である」という固定概念、つまりアイデンティティがあるからです。しかし、これは別に悪い事ではありません。アイデンティティがなければ自分自身を本当に見失ってしまいますからね。でも、その「アイデンティティを持っている自分」をどれだけ客観視できるかが多分重要なんじゃないかなと思います。それができなければ、本当の意味で新しい概念を受け入れるっていう事が難しいからね。2点がはっきり定まって初めて距離は求めることができるでしょう?それと同じです。

 

そんなわけで、今日は朝考えたことを朝書いてみました。それではまた明日。