自己肯定感の低さについてルーツを探ってみる

少しもやっとしたのでとりあえず思ったことを書いてみます。

 

人によって要因は違うと思いますけど、わたしにとって「自己肯定感の低さ」は大きな要因であったように考えています。より正確にいうのであれば「プライドは高いままだが自己を肯定できることがない状態」といった感じでしょうか。

 

もしこれを読んでいる人がいるのであれば、多少その要素は感じるものがあったかもしれませんが、わたしはプライドが高い方だと思っています。そして、学生時代にプライドを傷つけるいくつかの出来事がありました。

 

わたしは小中学生の頃、あまり素行が良いとは言えませんでした。より素行が悪い同級生もいたため、それよりはましな扱いでしたが、当時はあまり清潔感がある身だしなみはなく、とくに異性からは避けられる存在でした。わたしはそれに反発しましたが、逆にそれは異性との距離を生み、そしてわたしの不信感を育てました。そして徐々に男女関係なく現れるようになりました。

 

わたしはこういった人間関係のいびつさに悩んでいました。「ほかの人はクラスの殆どの人間とうまくやれるのに自分はどうやってもできないのだ」と絶望しました。「自分は好き嫌いが分かれる人間なのだ」と思い込もうとしても、やはり憧れるのは万人に好かれる人間でした。振り返ってみれば、わたしが学生時代好意を寄せていた女性もそういった人でした。

 

そしてわたしは、こういった劣等感を学業にぶつけるようになりました。模試などの成績に固執していたように思います。しかし、それは根本的な問題からの逃避であるわけで、健全とはいいがたい自己肯定の仕方だったのだと今ならわかります。結局のところ他者とのコミュニケーションについては改善を行っていなかったのですから。

 

結局私の不信感は改善されることがなく、それをかき消す為に、他者を説き伏せようといういびつなコミュニケーションを生みました。そしてだんだんとそれを実現するために、自分の発言にも虚構が混じるようになり、徐々に実際の自分からかけ離れるようになってしまったのです。

 

そうなるとより他者への不信感は高まり、そしてついに自分の虚像に追いつかなくなりました。そこから崩れるのはあっという間であとは知っての通りです。

 

では今心が落ち着いてこれがきちんと是正されたかというと全然まだまだだと思います。コミュニケーションはまだまだいびつです。ですがこれをまずは自分自身が事実だと理解し少しずつ劣等感を消化していくしかないです。

 

今日はじめてこのどうしようもなく、自分がひた隠しにしてきた事実をここに記載したのは、その解決のために必要なことだと信じて今日は筆をおきたいと思います。